モータースポーツ > Honda Racing Gallery > その他 > ARTA NSX GT500
05〜06年の2シーズンを経て進化熟成を遂げた新世代NSX-GT(05年途中から3.5リットルV6自然吸気エンジン搭載)は、必勝を期して07年シーズンに臨んだ。そのポテンシャルの高さは、開幕戦鈴鹿の予選から遺憾なく発揮される。なんとNSXが上位(1〜4位)を独占したのである。ウエイトハンデがない開幕戦だけに、これはマシンの性能がダイレクトに反映された結果であった。なかでも07年仕様NSXの速さを最大限に引き出したのが、鈴木亜久里の率いるARTAだ。予選スーパーラップで伊藤大輔がマークしたタイムは、驚愕の1分49秒842。GT500が鈴鹿で初めて1分50秒の壁を破ったのである。当時、伊藤は「Hondaとチームがやってきたことが、こういう速さになって現れたんだと思います。みんなに感謝しています」と喜びを語った。
ちなみにこの開幕戦、決勝はARTA NSXとTAKATA童夢NSXの1-2フィニッシュが確実な状況から、終盤、両車が相次いでマシントラブルに散っているのだが、白井裕NSX-GTプロジェクトリーダーのレース直後の談話が傑作だった。「ちょっとエンジン、やり過ぎちゃいましたね」。トラブルは残念だが、07年仕様のNSXというのは開発者が“やり過ぎた”とも実感するくらい、強烈な勝利への意志を注ぎ込んで開発・錬磨されたマシンであったのだ。そして実際、とても速かった──。
第2戦岡山で雪辱のシーズン初勝利を挙げた伊藤&ラルフ・ファーマンは、第5戦SUGOでも優勝、着実に王座への道をひた走った。この頃のウエイトハンデのルールは2011年現在のポイント連動制とは違い、レース毎の結果によって増減する複雑なものだったが、好成績の連鎖で累積が上限値の100kgを超えた場合、50kg分を吸気リストリクター縮小に振り替えることができた。当時のARTA NSX GT500の徃西友宏チーフエンジニアは「後半戦のサーキットの特性を考えた場合、50kg振り替えはかなり有効。だから、早い段階でウエイトハンデを100kgに乗せてしまえば勝ち(チャンピオン)だな、と思っていました」と、タイトル獲得後に語っていたが、そういうシーズン戦略も他を圧するスピードがあってこそ機能するものであった。第6戦鈴鹿で2位、そして第8戦オートポリスで3勝目を挙げたARTA NSX GT500は、最終戦を待たずにドライバーズタイトル獲得を決める(第9戦富士でチームタイトルも確定)。
開幕戦鈴鹿で見せた伝説的ポールポジションタイム、そして混戦を生み出すために規則の網が張り巡らされているなかで演じた、稀有なる独走によるタイトル奪取劇。07年シーズンを席巻したARTA NSX GT500は、日本の近代モータースポーツ史に燦然とその名を輝かせる“最強最速のハコ車”なのである。