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1996年のJTCC(全日本ツーリングカー選手権)に登場するやいなや開幕3連勝を飾り、日本のレース界に衝撃を与えたアコード。序盤戦は6戦中5勝を果たし、途中マシン改修のため欠場したり失格になるレースがあったものの、それでも参戦した全10戦でのべ8勝という戦績がマシンの優秀さを物語っていた。その結果、服部尚貴と中子修が大差をつけてポイントランキングの上位ふたつを独占。とにかくシーズンを通じて圧倒的な速さを見せており、その速さは開発プロジェクトを率いた北元徹が自ら「究極のツーリングカー」と評するほどだった。
投入2シーズン目となる1997年も、アコードの絶対的優位は揺るがないと考えられていた。Hondaは発足4年目のJTCCに初めてチャンピオン輩出メーカーとして参戦し、前年車アコード2Xの“正常進化型”である「アコード2.5X」を制作。前年に取り逃がしたチームタイトルも獲得すべく、第7戦/第8戦の鈴鹿ラウンドからは最終兵器ともいえる「アコード3X」を持ち込んでライバルを引き離す作戦を敷いた。
体制面では16号車(無限)に前年から引き続き中子が乗り、15号車(ナカジマ)も黒澤琢弥で継続となった。変更点としては前年エースとしてドライバーズチャンピオンに輝いた14号車(ムーンクラフト)の服部がアメリカ・インディカー挑戦のため離日したことで、代わってJTCCフル参戦はこれが初となる道上龍がドライブ。さらに新たに33号車(童夢)を岡田秀樹が走らせ、Honda陣営は常時4台出走という体制に。2年連続チャンピオン獲得を果たすべく、より強化された体制と言えた。
そうして臨んだ97年だったが、Hondaはこの年から改定された車両規則(フロントバルクヘッド改造範囲縮小)への対応が遅れ、特認車両として96年仕様のまま開幕ラウンドのTI英田(初戦の富士が悪天候で中止となったため)を戦った。ここでのレースを2戦2勝(黒澤と中子)で終えた後、バルクヘッドを規定範囲に改造したうえフロントトレッドを拡大して「2.5X」とし第2ラウンドのSUGOに持ち込んだ。しかし2.5Xは言わば「97年規定対応仕様」であり、あくまで暫定的な仕様という位置づけだった。規定変更によって全幅が1800mmへと拡幅され、同時にフロントトレッドも拡大されている。それに伴いフロントフェンダーの造形も変更され、大きく広がっているのが特徴だ。
エンジンにも手が入れられている。リバースヘッドでシーケンシャルミッションを備え、型式こそH22A型で前年と変わらないが、北元が「F1の技術も盛り込んだ、究極の4気筒」というほどに研ぎ澄まされていた。スプリントレースのJTCCに特化し、そのエンジンライフは1イベント使い切り程度までに突き詰めていた。具体的には点火システムにCDIを採用したほか中空軽量高リフトカムシャフトや軽量コンロッド、低フリクションクランクシャフト、軽量高強度ピストン、CFRP製ヘッドカバーを投入。ピストンリングは2本化され、スロットルボア径の最適化とストレートポート化も施された。あまりの徹底ぶりに、「市販車のブロックを持ったF1エンジン」とも称された。