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北米での覇道、ここに始まる

1996/Reynard 96I Honda(レイナード96I・ホンダ[4輪/レーサー])

3シーズン目のインディカー参戦バッサーが4勝し初チャンピオンに

Text/Toshiyuki Endo  Photos/Hidenobu Tanaka, Honda

1996/Reynard 96I Honda(レイナード96I・ホンダ[4輪/レーサー])

1996年インディカー・ワールドシリーズ出場車 No.12 ジミー・バッサー

“欧州の最高峰”であるF1と比べると低く長く大きく映るインディカーのマシン。F1と異なりウイングカー構造をもち、コクピット真横から張り出した長いサイドポンツーンが特徴だ。空力に注力していたレイナード、高めのハイノーズを採用。

“欧州の最高峰”であるF1と比べると低く長く大きく映るインディカーのマシン。F1と異なりウイングカー構造をもち、コクピット真横から張り出した長いサイドポンツーンが特徴だ。空力に注力していたレイナード、高めのハイノーズを採用。

1996年はHondaがアメリカン・オープンホイール最高峰シリーズへの挑戦を開始して3シーズン目、最初に大きな成功を収めたシーズンとして記憶される。その年の代表車がこのカーナンバー12、ジミー・バッサーが駆ったレイナード96I・Hondaだ(チームは後年、超強豪として知られることになる「TARGET チップ・ガナッシ・レーシング」)。バッサーがドライバーズチャンピオンを、その僚友アレックス・ザナルディがルーキー・オブ・ザ・イヤーを、そしてHondaはエンジンマニュファクチャラー王座を獲得している。

96年は、いわゆるCARTとIRLの分裂期に突入したシーズンでもあり、Hondaは既存シリーズ、CART主宰の「PPG インディカー・ワールドシリーズ」(通称CART)に継続参戦したわけだが、このシリーズは90年代に入った頃から大きな隆盛期を迎えていた。F1との人材交流活発化によって参戦ドライバー層が厚みを増し、96年時点ではシャシー、タイヤ、エンジンがマルチメイクという、極めて高いコンペティション性も有していたのだ。欧州のF1に対する北米のCARTという位置づけで、まさにフォーミュラ&オープンホイールの世界2極構造が成立した時期。ナイジェル・マンセルが“変則世界連覇”(92年F1〜93年CART)を成し遂げたことも、この時代の大きなトピックスだった。

そのCART(以下インディカー・シリーズと記載)に94年シーズンから挑んだのがHondaである。シリーズのレベルが最高潮に達しゆくなかでの果敢な最高峰参戦は60年代のF1ファーストチャレンジを想起させるものでもあったが、出足が苦しいものとなるのもまた、必然であった。当初組んだチームとは1シーズンで関係解消となるなどの苦境も実際に味わったわけだが、それでも2年目の95年シーズン終盤にはHonda製エンジン搭載車の初優勝が成し遂げられる(ドライバーはアンドレ・リベイロ)。83〜92年のF1第二期活動で世界を席巻したHonda、その面目躍如であった。

迎えた96年、Hondaは供給体制を4チーム6台に拡大し、王座狙いに照準をセット。前年途中にそれまでのスチールブロックエンジン「HRX」に代わってデビューしたアルミブロックエンジン「HRH」(2646cc、V8ターボ)は、新シーズンに向けてシリーズ2への正常進化を果たし、各チームのマシンに搭載された。新たにHonda陣営に加わったチップ・ガナッシ・レーシングはシャシーがレイナード製、タイヤはファイアストン製という組み合わせで、ドライバーはバッサーとザナルディである。ザナルディは前述したようにこの時代に多かったF1からの転身組で、インディカー・シリーズでは“ルーキー”という扱いだった。

コクピット内はF1と比べるまでもなく「前時代的」でとにかくシンプルだ。ステアリングにはスイッチらしいスイッチもなく、トランスミッションはまだ平凡な6速MTである。モノコック開口部も大きい。

コクピット内はF1と比べるまでもなく「前時代的」でとにかくシンプルだ。ステアリングにはスイッチらしいスイッチもなく、トランスミッションはまだ平凡な6速MTである。モノコック開口部も大きい。

シャシー×エンジン×タイヤの組み合わせが多様に存在し得るなかで、どの組み合わせがシーズン最強か? これが当時のインディカー・シリーズにおける大きな焦点のひとつだったが、この年の答えは「レイナード×Honda×ファイアストン」。少なくともエンジンという要素に関してHondaが最強のカードであったことは間違いない。開幕戦でバッサーが優勝すると、Honda勢は開幕4連勝。その後も安定的に勝ち星を重ね、全16戦中11勝を挙げてエンジンマニュファクチャラーズタイトルを初獲得するのである。

この年のインディカー・シリーズにおけるシャシー別勝ち星はレイナードとローラが8勝ずつ、エンジン別ではHondaが11勝でフォードが5勝だったが、ここでタイヤはさておき「シャシー×エンジン」限定で考えた場合、“勝った組み合わせ”は3つ。レイナード×Hondaが8勝、ローラ×Hondaが3勝、ローラ×フォードが5勝で、数字は「レイナード×Hondaが最強だった」ことを示している(当時、量産シャシーコンストラクターとしてローラと双璧を成していたレイナードは、どのカテゴリーでも空力面の先鋭性が特徴、との印象が強かったように思われる)。

11勝を挙げたHonda勢、勝ったドライバーは5名にものぼる。チップ・ガナッシ(レイナード/ファイアストン)のバッサーが4勝、ザナルディが3勝。彼らと同じくレイナードを使うホール・レーシング(タイヤはグッドイヤー)のジル・ド・フェランが1勝。そしてローラ使用のタスマン・モータースポーツ(タイヤはファイアストン)のリベイロが2勝、エイドリアン・フェルナンデスが1勝という内訳で、ブリックス・コンプテック・レーシング(レイナード/ファイアストン)のパーカー・ジョンストンだけは勝てなかったが、彼も決勝最高位2位と、Honda勢の皆が上位成績を経験していたことも特筆される点だ。

ドライバーズチャンピオンを獲得したのはバッサー。前年までは華々しい実績こそなかったが、開幕戦の勝利を契機にシーズン序盤の6戦で4勝をマークする。最終的な勝利数では5勝したマイケル・アンドレッティ(96年唯一の非Hondaユーザーの優勝者)に追い越され、自身は中盤〜後半の10戦では1度も勝てなかったが、他陣営が態勢を整える前のスパートによるリードを活かし、逃げ切った格好のチャンピオン獲得だった。

そしてある意味ではバッサー以上のインパクトを与えたのが、同じカラーリングのレイナード96I・Honda(カーナンバー4)で走った新人ザナルディである。オーバルコースとロード&ストリートコースを転戦するシリーズにあっては、F1からの転身組も特にオーバルで順応に苦労するのが常。しかしザナルディは2戦目のオーバルでポールを獲る非凡さを示し、シーズン後半にはロード&ストリートで5ポール、3勝の大躍進。しかも後半8戦はオーバルを含めてすべて予選2位以内、決勝も3勝/2位2回/3位1回という素晴らしい成績だった。ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得はもちろんのこと、アンドレッティと同点でシリーズ3位に食い込んでいる(97年、98年を連覇)。

 

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Reynard 96I Honda

1996/Reynard 96I Honda[4輪/レーサー]

Reynard 96I Honda[4輪/レーサー]

SPEC

シャシー

型番 Reynard 96I
車体構造/材質 モノコック/CFRP
全長×全幅×全高 4954mm/2038mm/954mm
ホイールベース 3050mm
トレッド(前/後) 1760mm/1640mm
サスペンション(前/後) 上:Aアーム 下:Aアーム/プッシュロッド式インボードスプリング
タイヤサイズ(前/後) 10.00-15/14.00-15
燃料タンク容量(USガロン) 40
トランスミッション 縦置き6速MT
車体重量 705kg

エンジン

型式 HRH
形式 V型8気筒
排気量 2646cc
ボア×ストローク
圧縮比
最高出力
燃料供給方式 ホンダ電子制御燃料噴射
スロットル形式 8連スロットルバルブ
過給機 ターボチャージャー×1(45inHg制限ポップオフバルブ付)

その他

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