モータースポーツ > Honda Racing Gallery > その他 > Honda NSX GT2
スポーツカーレースのカテゴリーで、12年間続いたグループCカー規定がGTカー規定に切り替わったのは、1994年のことだった。準F1化したグループCカーの規定は、参戦可能なエントラントの数を極端に制限する結果となった。こうした排他的なグループCカー規定に代え、より多くのメーカーに門戸を開く形で選ばれた規定がGTカーだった。
GTカーカテゴリーそのものについては、グループ4/6、グループCカーの時代から、ポルシェ911が黄金時代を築き上げてきたことはよく知られるが、あくまでサブクラスとしての扱いで、メインクラスとして脚光を浴びることはなかった。もっとも、プロトタイプも市販車の区別もなかった1960年代まで遡れば、また話は違ってくるのだが。
GTカーを主役に据えるという枠組み作りは、ある種スポーツカーレースの原点回帰とも見なせる判断である。市販スポーツカーが持つ親近性は、数多くのファンを惹きつける要素となり、興業の面から見ても、大きなプラス材料として働くことは間違いない。
この年のGTカークラスは、GT1/GT2/IMSA‐GTSの3クラスによって構成され、それぞれ車重1000kg/最高出力650ps/タンク容量120リットル、1050kg/450ps/120リットル、1000kg/650ps/100リットルで規定されていた。GT1とIMSA‐GTSの場合、Cカー時代と見比べても、それほど性能ダウンの幅は大きくない。性能枠から考えても、かなりの改造が許される。一方、GT2の規定を見ると、市販車の延長線上にあることをうかがわせる枠組だ。たとえて言うなら、GT1がグループB、GT2がグループAといったニュアンスで、改造幅が制限される分、GT2のほうがベース車両のポテンシャルは効いてくることになる。こうした性格を持つGT2クラスにHondaは3台のNSXを、イギリスのTCPで製作、ドイツのクレマーレーシングにハンドリングをまかせて送り込んでいた。
94年、GT2クラスに参戦した3台のNSXは初出場ながら全車完走の健闘を見せた。GT2クラスの完走9台中、6、7、9位ではあったが、初出場、年明けからのマシン開発を考えれば、むしろ完走にこぎつけた信頼性の高さが評価される結果となっていた。またNSXによるレース活動は、F1を始めとするフォーミュラや、アコード/シビックによるツーリングカーを手がけてきたHondaにとってS800以来の市販スポーツカーレースとなっていた。しかもこのカテゴリーには、デビュー以来、王座に君臨し続けるポルシェ911という絶好の目標があり、挑戦を旨とするHondaにとって不足はなかった。
こうしてGT元年となった94年のル・マンだったが、果たして、いつの時代も規則の盲点を突く知恵者はいるもので、ポルシェ962Cのモノコックとパワートレーンを使う名ばかりのGTカー、ダウアー・ポルシェ962LMが登場。実際“本来のGTカー”との性能差は開きすぎていた。ラップタイムで15秒、最高速で20km/hの違いは致命的で結果は、GT1クラスのダウアー・ポルシェ962が、暫定措置として参加が認められたプロトクラスのCカー勢も打ち破り、この年のル・マン総合ウイナーに輝いた。