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JTCは82年に施行されたグループAという規格のマシンで争われた。この規定は市販車からの改造範囲が狭いことが特徴で、レース用に純レーシングエンジンを搭載したり大幅な改造を加えたり派手なエアロパーツを追加したりすることは認められていなかった。換言すれば、市販車状態での性能の高さはそのままレースの世界でもアドバンテージとなった。そのためHondaは市販車企画の段階からJTC参戦を見越したクルマづくりを行ない、誕生したEG6型シビックは極めて高いポテンシャルをもつ格好のレース用ベース車と言えた。ディメンジョンこそ市販車そのものだが、搭載される1595ccのNA直列4気筒エンジンは市販車ベースということが信じられないほどのパワー(ノンターボで230馬力)に達するなど、随所にレーシングカーとしての素性を秘めていた。
EG6型シビックのJTC実戦デビューは92年第4戦。EF9で実績のあるB16Aエンジンを継続して採用し、シャシーは無限が開発を推し進めた。無限はEG6シビックをレースデビューさせるにあたりフロントタイヤを17インチへ拡大、同時にブレーキ容量を増やして夏場のレースに備えた。ボディ形状の影響でブレーキダクトへうまく風が当たらないのではという懸念があったためだ。絶え間ない開発が奏功し、シビックはAE86、AE82、AE92、AE101とベース車両を替え続けたライバルのトヨタ・カローラと格闘しながらそれらを制圧し続け、87年以後、マニュファクチャラーズチャンピオンを連続7シーズンにわたって獲得してみせた。活動の後半はカローラとの戦いというよりもむしろシビック同士の戦いが激しくなっていき、93年は9戦中8勝をシビックが挙げている。85〜93年のシビック通算勝利数は実に36にも及んだのだ。
カラフルなカラーリングが特徴の14号車は93年第2戦オートポリスでシーズン初勝利を挙げると第3戦SUGOでクラス3位、EG6デビュー戦の第4戦鈴鹿で2勝目を飾り、続く第5戦TI英田でも勝ってシーズンを牽引した。しかし前年の王者、出光MOTION無限シビックの中子修/岡田秀樹組が食らいつき、第7戦十勝で優勝。同門対決の決着は最終戦インターTEC(富士)でつくこととなり、ミッショントラブルを抱えた出光MOTION無限シビックを尻目にここを制した14号車が見事初のタイトルを獲得した。こうしてシビックはJTCのディビジョン3、最後のチャンピオンカーとなってシリーズは終演を迎えた。戦いの場は翌年からの短距離レースのJTCCへと変わり、Hondaが投入するマシンも4ドアのシビック・フェリオへとチェンジ。2000cc規定での新たなチャレンジへと繋がっていくのだった。