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マクラーレンとの長き蜜月に幕

1992/McLaren Honda MP4/7A(マクラーレン・ホンダ MP4/7A[4輪/レーサー])

セナとベルガーが最強V12で5勝するも逸冠Honda第2期F1活動、最後のマシン

Text/i-dea  Photos/Katsuyoshi Kobayashi, i-dea

1991/McLaren Honda MP4/7A[4輪/レーサー]

1992年F1世界選手権出場車 No.1 アイルトン・セナ

液晶表示のレブカウンターとシンプルな正円ナルディ製ステアリングが配されたコクピット。セミオートマを標準搭載しシフトノブが消えた。スロットルは電子制御のフライ・バイ・ワイヤー方式となった。

液晶表示のレブカウンターとシンプルな正円ナルディ製ステアリングが配されたコクピット。セミオートマを標準搭載しシフトノブが消えた。スロットルは電子制御のフライ・バイ・ワイヤー方式となった。

第13戦イタリアGPで、Hondaはこの年限りでのF1活動休止を発表する。メディアからコメントを求められたセナが涙したことは有名なエピソードだ。とはいえ、Hondaは最後まで開発ペースを緩めることはなかった。日本GP用の“鈴鹿スペシャル”エンジンはもちろんのこと、撤退発表をしたそのイタリアGPには、マクラーレンとHondaが共同開発したアクティブサスを試験的に導入する。

このシステムはウィリアムズのそれよりも複雑な代物だった。FW14Bのシステムの基本動作はパッシブサスが行ない、それを補佐するかたちでアクティブシステムが発動するシンプルで実用性の高いものだったが、マクラーレンが追い求めたものは完璧なる“フルアクティブ”で、アクチュエーターがすべてのバンプに対応することにより、理論的には究極のパフォーマンスを得られる目論見だった。しかし、現実的にポンプを動かすための動力をエンジンから得なければならず、エンジンパワーのロスが予想外に大きかった。ライドハイト、サスペンションコントロール、ダンピングなどの制御をすべて油圧システムに頼り切っていたために、エンジンパワーの多くがそこに奪われることになった。もちろんセナはこのシステムを気に入らず、初日のフリー走行を走っただけでお蔵入りとなってしまう。

究極のV12完成を目標に開発されたRA122EはBスペックへと進化。ユニット単体のパワーでは絶大なポテンシャルを誇り、シーズン5勝を挙げた。

究極のV12完成を目標に開発されたRA122EはBスペックへと進化。ユニット単体のパワーでは絶大なポテンシャルを誇り、シーズン5勝を挙げた。

この年、アクティブサスを武器に勝ちまくったウィリアムズにタイトルこそ奪われたが、Hondaとマクラーレンは意地を見せ、最終戦オーストラリアGPに持ち込まれたMP4/7AのポテンシャルはFW14Bに匹敵するものとなっていた。レースではセナがマンセルにプレッシャーを与えるという、シーズン序盤では考えられなかった展開となった。結果的に両者は接触しリタイア、代わってリーダーに立ったパトレーゼまで消えたことでトップチェッカーを受けたのはベルガーだった。Hondaは第2期のラストレースで有終の美を飾り、通算71勝目を刻んだ。安岡章雅プロジェクトリーダーの「最後にまたひとつ勝てました」という言葉が印象的だった。

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McLaren Honda MP4/7A

1992/マクラーレン・ホンダ MP4/7A[4輪/レーサー]

1992/マクラーレン・ホンダ MP4/7A[4輪/レーサー]

SPEC

シャシー

型番 McLaren Honda MP4/7A
車体構造 カーボンモノコック
全長×全幅×全高 4496×2120mm×990mm
ホイールベース 2974mm
トレッド(前/後) 1824/1669mm
サスペンション(前後とも) プッシュロッド/ダブルウイッシュボーン
トランスミッション マクラーレン製横置き6速セミAT
車体重量 506kg
デザイナー ニール・オートレイ/アンリ・デュラン

エンジン

型式 Honda RA122E/B
形式 水冷75度V12 DOHC 4バルブ
総排気量 3496cc
ボア×ストローク(mm) 88.0×47.9
圧縮比 12.9
最大出力 774bhp/14400rpm
燃料供給方式 PGM-FI 電子制御シーケンシャルインジェクション
スロットル形式 12連バタフライ式スロットルバルブ可変吸気管長システム
重量 154kg

F1 第二期

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