モータースポーツ > Honda Racing Gallery > F1 第二期 > McLaren Honda MP4/5B
シャシー性能では、完全にライバルのフェラーリ641/2の後塵を拝していたのは事実である。MP4/5Bも結局のところ前年型同様にエンジンパワーに頼らざるを得なかった。90年型のHondaのV10エンジン『RA100E』は、ボア×ストロークの変更を行うことで燃焼の安定化が図られていた。RA100Eの特徴はスロットル形式の選択にあり、RA109Eで用いられたスライド式スロットルバルブに対して、バタフライ式スロットルバルブを採用。結果としてスロットル下流のタービュランスによる燃料の一時的滞留を改善し、あらゆる条件下での空燃比の安定化を図ることに成功する。パワーアップはもちろんのこと、サーキットに応じて特性の異なる仕様を用意するのもHondaのお家芸だった。開幕戦フェニックスのバージョン1に始まり、シーズンエンドの鈴鹿とアデレードではバージョン6まで進化したエンジンが、この年最強のユニットであったことに異論はない。
当時のF1エンジンは、予選用と決勝用を合わせて各グランプリにドライバーあたり約10数基が準備され、年間では軽く200基以上を必要とした。開発費と活動費は膨大だが、Hondaはエンジンの信頼性とドライバビリティに徹底してこだわった。V10初年度のRA109Eでは常用回転限界が毎分1万2000回転だったが、RA100Eではそれが1万4000回転にまで達しつつあった。シフトダウンなどのオーバーレブにより瞬間的には1万5000回転を越える場合もあるが、それさえも許容するレベル。ここまで回しても壊れない驚異の信頼性を、RA100Eは誇った。
シーズンの天王山は鈴鹿の日本GPだった。セナは1年前のリベンジを果たすべくプロストを“撃破”する。スタート直後の1コーナーで接触した2台のマシンはグラベルの砂塵の中に消え、セナの2度目の戴冠が決まった。この1年後、セナはこの接触が故意だったことを認めた。もちろん、その行為自体は批判されるべき危険なものだ。しかし、それほどの強い憎悪が89年の鈴鹿から1年間、彼を心を占めていたということである。
結果的にダブルタイトルを死守したマクラーレンだが、もはや圧倒的アドバンテージは彼らのマシンにはなかった。セナとHondaの存在がなければ、タイトル獲得は難しかったはずだ。しかし、プロストが去りベルガーが加入したマクラーレンは、非常に統率のとれたレーシングチームへと変貌してゆく。その時セナは、完全にマクラーレンを掌握していた。
型番 | McLaren Honda MP4/5B |
---|---|
デザイナー | ニール・オートレイ |
車体構造 | カーボンファイバー/ハニカムモノコック |
全長×全幅×全高 | 4470mm×2133mm×965mm |
ホイールベース | 2895mm |
トレッド(前/後) | 1800/1660mm |
サスペンション(前/後) | ダブルウイッシュボーン+プルロッド/ダブルウイッシュボーン+プッシュロッド |
タイヤ(前/後) | 13×11.75in/13×16.25in |
燃料タンク | 212L |
トランスミッション | マクラーレン製横置き6速 |
車体重量 | 500kg |
型式 | RA100E |
---|---|
形式 | 水冷72度V10 DOHC4バルブ |
排気量 | 3498cc |
ボア×ストローク(mm) | 93.0×51.5 |
圧縮比 | 12.4 |
最高出力 | 680ps以上/12800rpm |
燃料供給方式 | PGM-FI 2インジェクター |
スロットル形式 | 10連バタフライ式スロットルバルブ |
過給機 | 無 |