モータースポーツ > Honda Racing Gallery > F1 第二期 > McLaren Honda MP4/5
セナ6勝、プロスト4勝ながら、安定感で上まわるプロストが得点面では優位。当時のドライバーズポイントは16戦中11戦の有効制だったこともあり、状況は「セナが終盤2連勝なら自力逆転で連覇、それ以外の結果ならプロストが王者」という複雑かつ、ある意味ではシンプルなものとなっていた。
予選で超絶的なアタックを披露してポールを獲得したセナだが、決勝スタートでプロストに先行を許す。ここまでの速さではセナに一歩以上を譲っていたプロストが、土壇場の大一番で乾坤一擲の走りを見せ、レースをリードしていく。タイヤ交換を終えても順位関係は変わらない。勝つしかないセナに焦りが生じ始めていことは想像に難くなかった。
そして終盤47周目に、それは起きた──。
130Rコーナーでのスピードに優るところを活かしてプロストの背後に迫ったセナは、シケインのイン側を狙う。しかし、プロストも譲るはずはない。2台のマクラーレン・ホンダ MP4/5は、それを操る当人たちの意志には反して、まるで寄り添うように、一体化するかのように手足を絡め合いながら、静かに、走るのをやめたのであった。
鈴鹿サーキットの時間も止まっていた。大観衆はあっけにとられ、ことの顛末を見守る。マシンを降りるプロスト。懸命の再始動要請が実り、コース復帰を果たすセナ。そしてその刻、沸き立つ歓声──。
セナは翌周にピットイン、接触時に傷めたフロントノーズを交換する。その間にトップに躍り出ていたアレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード)を51周目のシケインでパスして、セナはトップでチェッカーを受けた。
これでセナ連覇の望みは最終戦につながった、かに思われたが、セナはプロストとの接触後のコース復帰時にシケインを通っていなかったため失格処分となる。この結果、ナニーニが初優勝、プロストが3度目のタイトルを獲得したのであった(セナ側が失格裁定に控訴の意を見せていたため、最終戦オーストラリアGPで彼がリタイアした時点でプロストの王座が完全確定)。
カーナンバー2のマクラーレン・ホンダ MP4/5は、プロストのマシンである。彼に味方する当時のFIA首脳らがセナを失格に追い込んだ等々の議論が渦巻いたシーズン終焉時、16戦10勝した戴冠車の存在はヒューマンドラマの影で忘れられがちになってしまった。しかし、あの鈴鹿での衝撃的なクライマックスにおいて主役のふたりが乗っていたマシン、という事実だけをもってしても、後世から見れば稀有なる名車といえよう。戴冠しつつも記録面では先代を超えられず、政争のおかげで存在感が薄れるなど悲運なところもあったが、今にして思うのは、これこそ記録にも記憶にも残るマシンだということである。
型番 | McLaren Honda MP4/5 |
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デザイナー | ニール・オートレイ |
車体構造 | カーボンファイバーモノコック |
全長×全幅×全高 | - |
ホイールベース | 2896mm |
トレッド(前/後) | 1820/1670mm |
サスペンション(前後とも) | ダブルウイッシュボーン |
タイヤ(前/後) | 12-13/16.3-13インチ |
燃料タンク | - |
トランスミッション | マクラーレン製6MT |
車体重量 | 500kg |
型式 | RA109E |
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形式 | 水冷72度V10 DOHC |
排気量 | 3490cc |
ボア×ストローク | 92.0mm×52.5mm |
圧縮比 | - |
最高出力 | 685ps/13000rpm |
燃料供給方式 | Honda PGM IG |
スロットル形式 | - |