モータースポーツ > Honda Racing Gallery > F1 第二期 > Williams Honda FW10
第14戦、英国ブランズハッチが舞台のヨーロッパGPからウィリアムズ・ホンダはFW10Bにマシンを進化させる。リヤサスペンションの仕様変更に伴い、ギヤボックスのケーシングやHondaエンジンのエアチャンバー、リヤカウル等にもモディファイが加えられてBバージョンとなったFW10を駆り、マンセルが悲願のF1初優勝、当時の最遅記録である72戦目の初勝利を母国で飾った。ロズベルグも3位に入って、ダブル表彰台獲得である。このレースではマクラーレンのアラン・プロストが自身初、チームにとって2年連続のドライバーズタイトル獲得を決めており、レースでは4位ながら彼も表彰式に参加しているのだが、むしろウィリアムズ・ホンダの台頭を予感させる一戦であったといえよう。
FW10Bはリヤの空力にも改善効果があったとされる。マンセルのドライビングと相性が良かったのか、彼は返す刀で次戦南アフリカGPをポール・トゥ・ウィンで制して2連勝。ロズベルグも2位に続き、ウィリアムズ・ホンダにとって初の1-2フィニッシュとなった。さらには最終戦オーストラリアGP、マンセルはリタイアに終わったがロズベルグが優勝してウィリアムズ・ホンダは3連勝。翌年以降への期待感を大いに高めるかたちで、シーズンを締めくくったのである。
ウィリアムズ FW10(FW10Bを含む)の年間成績は16戦4勝、ポールポジション3回。コンストラクターズランキングでは連覇達成のマクラーレン・TAGポルシェ、そしてフェラーリに次ぐ3位タイであった(ロータス・ルノーと同点)。
前の年は全16戦、のべ32回の出走で21回あったリタイアが、この年は全16戦、のべ31回(マンセル決勝不出走が1回)の出走中12回と激減しており、信頼性が大幅に向上したことは明らかだった。84年の時点でもパワーには秀でたものがあったHondaが、信頼性を伴うことによって85年はついにその能力を全開できるようになったのだ。FW10もそのパワーをしっかり受けとめ、効果的に路面へと伝えた。入賞圏内でのフィニッシュ(当時は6位以内)は84年の7回に対し、85年は15回と倍増。フル参戦イヤー2年目のウィリアムズ・ホンダは、すべての面で大きな前進を果たしたのである。
ウィリアムズ初のカーボンモノコック車にして、搭載されるHonda製ターボエンジンもスモールボア&ロングストローク化に踏み切った仕様であるなど、FW10は技術面でも成績面でも、まさにその後のウィリアムズ・ホンダ黄金期の到来を告げるマシンだったといえるだろう。
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![1985/Williams Honda FW10[4輪/レーサー]](../../images/detail/fw10/sub_image.jpg)
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| 型番 | Williams Honda FW10 |
|---|---|
| デザイナー | パトリック・ヘッド |
| 車体構造 | カーボンファイバーモノコック |
| 全長×全幅×全高 | 未発表 |
| ホイールベース | 2794mm |
| トレッド(前/後) | 1803/1626mm |
| サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン+インボードスプリングダンパー |
| サスペンション(後) | ロワーウィッシュボーン+インボードスプリングダンパー |
| タイヤ(前/後) | 12-13/16.3-13インチ |
| 燃料タンク | 220リットル |
| トランスミッション | ウィリアムズ/ヒューランド製6MT |
| 車体重量 | 540kg |
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| 型式 | RA165E(第5戦カナダGP以後) |
|---|---|
| 形式 | 水冷80度V6 DOHC24バルブ+ツインターボ |
| 排気量 | 1498cc |
| ボア×ストローク | 82.0mm×47.3mm |
| 圧縮比 | 未発表 |
| 最高出力 | 800ps以上/11200rpm |
| 燃料供給方式 | PGM-FI |
| 過給機 | IHI製ターボチャージャー×2基 |