モータースポーツ > Honda Racing Gallery > その他 > MARCH Honda 812
呼称「RA26○E」と表記されたHondaの2LのV6エンジンは当初、外観から推定が可能な80度のシリンダーバンク角以外、エンジンディメンジョンに関する部分は伏せられたままだったが、このエンジンにかかわった川本信彦(のちのホンダ社長)が「同じ大きさ(ボア)の燃焼室が6つあるのだから、理論的には(BMW4気筒に対して)1.5倍の出力が可能」というコメントを雑誌のインタビューで述べたことから、89mm前後のボアを持つエンジンであることが推測されていた。これはのちに90mm×52.3mmのボア×ストローク値から1万500回転時に310ps以上を発生することが公表され、Honda製V6エンジンの全容は明らかになるのだが、川本の言うマルチシリンダーの優位性は回転上限を決める平均ピストンスピードのフレキシビリティとなって如実に表れていた。
52.3mmストロークのHondaのV6エンジンは1万500回転時に約18.3m/秒のピストンスピードとなることに対し、最高回転数9500回転前後のBMWエンジンでは25.3m/秒と限界を超す(当時の限界値は20m/秒と考えられていた)数値となっていた。
乱暴だが、シリンダー内最大平均有効圧力が同じ(になるわけはないのだが、仮に)なら、回転上限に余裕を残すHondaのV6には、まだ出力向上の余地があったのである。もっとも、高回転化で真っ先に問題となるのは動弁系であるため、バルブサージング対策が先決問題とはなるが……。
V6レイアウトを常識的な60度バンクではなく80度バンクとしたあたりも、いかにもHondaらしい。慣性力/慣性偶力の点では不利なのだが、高回転域を常用するレーシングエンジンにとっては影響なし(キャンセルされる)と考え、シャシーマウント上の利点(低重心化、吸気系の全高を抑えるなど)が重視された結果である。
そうして早々にライバル・BMWを駆逐したHonda。欧州F2での覇権はいつまでも続くかと思われたが、時のFIAは84年いっぱいでF2規定のレースを終了し、85年からはフォードDFVエンジンを再利用した3L・V8エンジンでの国際F3000選手権をスタートさせると決定。Honda製V6エンジンの主戦場は、全日本F2のみとなった。
このRA261Eを手に入れた中嶋は81年の全日本F2第2戦からマーチ812へ搭載し2勝、見事全日本初タイトルを獲得する。快進撃はJPSカラーとなった82年も続き、連覇を達成し一躍国内トップドライバーに。この年は生沢とともに欧州F2へもスポット参戦を果たし、初戦シルバーストンでは2位となった(年末にはスポンサーの招待でロータスF1チームへと合流、初のF1ドライブまで実現している)。そして中嶋とHondaは84、85、86年に全日本F2を3連覇。この活躍がきっかけとなったか、中嶋とHondaの結びつきは強固なものとなっていき、86年の国際F3000スポット参戦、最終的には87年のF1フルタイム参戦へと結実するのであった。