モータースポーツ > Honda Racing Gallery > F1 第一期 > Honda RA301
Hondaは第1期F1活動における2勝目をデビュー1戦目で挙げ、「殊勲のピンチヒッター」と呼ばれたRA300を1968年元日開催の開幕戦・南アフリカGPまで使用。当年シーズンの“本命”であるRA301は満を持して4カ月後の第2戦スペインGPにデビューした。タイトルを狙うと宣言したジョン・サーティースをエースに2度の表彰台を獲得したが、シーズン途中からは空冷8気筒エンジンを積むRA302に開発の目と手が向けられたこともあり、高い戦闘力を維持することができず結果的に未勝利に終わっている。そしてこの68年シーズン限りでHondaはF1活動を休止してしまうのである。
考えてみればまだ本来の要求性能に達していなかったRA300が、総合力で勝るロータス49フォードやブラバムBT24・レプコを相手に67年イタリアGPで優勝をもぎ取れたのはなぜか。コースが高速モンツァだったことによる部分は大きいだろう。また見方によっては610kgの車重がありながら500kgのロータス・フォードと遜色なく走れたのは、エンジンが相当に強力だったからとも言えるだろう。
逆に言えば、Hondaのパワーをもってシャシーさえロータス並みの車重に仕上げられれば、圧倒的なグランプリカーになると考えるのは自然なことだ。RA273の時代にヘビーウェイトに苦しめられたHondaが、RA300で築いたローラ・カーズとのコンタクトを活かすことで、彼らに“ローラマジック”を期待するのも無理からぬ話である。
そうして68年第2戦スペインGPに投入されたRA301は完全な新設計ながら随所にRA300との共通項をもち、製作には引き続きローラ・カーズが携わった。とにかく早急な実戦投入を要求されたRA300で実行できなかった対策要目を確実に具体化したモデルとして、期待の最強マシンとして送り出されたのだ。少なくともスペックから見える完成度は、第1期F1マシン中でも群を抜く存在だった。
懸案だった車重は、モノコック部材をマグネシウム合金に変更したり構造部材の再検討を行なったりすることで530kgにまで軽減することに成功。RA273に対し120kg減、RA300に対しても60kg減という、大幅なダイエットだった。もちろんシャシーだけの対策ではなく、エンジンを全面的に見直した効果も大きかった。