モータースポーツ > Honda Racing Gallery > F1 第一期 > Honda RA273
パワーと信頼性こそ、他陣営を引き離すほどの実力を発揮した。しかし問題は、やはり車両重量にあった。エンジン自体も重量級(200kg)だったが、アルミモノコック構造を採用しながら安全係数を高く取るためのシャシー構造が重量増を招き、最低規定重量を150kgも上まわる650kgに達していた。
こうした状態の車両で参戦しても、まともな戦績など望めそうにないことは明らかだったが、先にも触れたようにこの66年シーズンは混迷を極めていただけに、とにかく完走すれば思わぬ上位に食い込めるチャンスが残されていた。
ギンサーのRA273が最終戦のメキシコで4位(バックナム8位)に食い込めたのも、まさにこうした流れがもたらしたもので、依然としてマシンのダイエットは大きな課題として残されていた。Hondaは翌67年シーズンもRA273を継続使用する意向で熟成と軽量化を進めた。投入2戦目のアメリカGPではリヤサスペンション・ラジアスロッドのピックアップポイント増設やワイドトレッド化などを断行。実戦5レース目の67年モナコGPではエンジンブロックをアルミからマグネシウム鋳造品へと変更。ノーズ形状にいたってはモナコ用、オランダ用と仕様違いがいくつも作られた。
一方でHondaはチーム体制の強化にも着手。F1参戦以来起用し続けてきたギンサーとバックナムと袂を分かち、起死回生を図って元世界チャンピオン(ジョン・サーティース)を招聘。加入後初のレース(67年開幕戦南アフリカGP)ではRA273を3位表彰台へと導き、イギリスGPで6位、ドイツGPで4位と着実に結果を残した。また彼のもつ英国内での人脈パイプ、さらに現場サイドの進言もあって英国ローラカーズ社との提携を決定するとインディ用T90シャシーをベースに熟成極まったRA273Eエンジンを搭載する新型マシン「RA300」を6週間で生み出すことに成功し、これが9月のイタリアGPへ登場するやデビューウイン、奇跡の2勝目達成を成し遂げる。RA273はRA272とRA300という、2台の優勝経験車に挟まれた境遇に生まれた。優勝こそならなかったものの次作への開発上の指針となったという意味で見捨てることのできない、貴重で価値ある1台と言えよう。